実は今回のツーリングの目的は震災遺構を見ることでした。
東日本大震災で被災した施設を後世に残すために保存してある場所が多数あります。
あれから10年、そのいくつかでも見学できればと思っていました。
石巻大川小学校。
避難中の生徒74名、教師10名が犠牲となったあの場所です。
コンクリートが破壊され、津波の破壊力を目の当たりにします。
小学校の横に建てられた大川震災伝承館。
当時の様子が事細かく展示されています。
避難に向かった場所が裏山ではなく土手の高台。
なぜか。
そこが裁判の争点になったことをニュースで見たかと思います。
学校のすぐ裏が山。
学校から海は見えない。
海から学校まで数キロ。
バイクで海まで走りましたが、かなりの距離がありました。
遺族が真実を知りたいと思うのは当然でしょう。
全国から多くの人がここを訪れているようです。
思うことは人それぞれかもしれません。
僕も色んなことを考えました。
でも、誰もが忘れてはいけないことが、ここに書かれている気がしました。
ここには町がありました
生活がありました
いのちがありました
子どもたちが走り回っていました
南三陸町防災対策庁舎。
若い女性職員が最後まで防災放送で町民に避難を呼びかけていた、あの場所です。
ここは近くに展示館などなく、近くにいた地元の人に話を聞きました。
津波は3階建ての屋上のさらに2mも上まで押し寄せたそうです。
左右にも庁舎の建物があったそうですが、土台を残して全て流されてしまったとか。
ここでも津波の破壊力に圧倒されました。
3階、フレスコのあるマンションと同じですが、天井の高さからしてもっと高いかも。
「まさか」誰もが思ったに違いありません。
今では周辺が整備され公園になっていますが、かつてはここに町があったのです。
さらに北上し陸前高田。
奇跡の一本松。
周辺では防潮堤の建設が今でも行われています。
すぐ近くの東日本大震災津波伝承館を見学。
かなり立派な施設でした。
前半は地震や津波の歴史やメカニズムの詳細を展示。
勉強になります。
東日本大震災の津波被害についても事細かく説明されていました。
これらの資料を読むだけでかなりの時間を要します。
津波に流された消防車や、シアターでは映像も観ることができます。
後半のコーナーも大変よくできていて、地震発生からその後まで時系列で文字、写真、絵で分かりやすく説明しています。
そのコーナーは写真撮影ができないエリアだったのが残念でしたが、僕が一番時間をかけて見学したコーナーでした。
涙が出てきました。
多くの命が失われ、悲しみに暮れ、それでも懸命に生きた人たち。
そして一人でも多くの命を救おうと不眠不休で奔走した沢山の人たち。
今回、震災遺構の3か所を回り、これを書いていて、もっとちゃんと説明しようと思っていましたが、うまく書けません。
帰宅後すぐ、今月号のフレスコ便りにまとめ(無理やり1ページにギュッとまとめました)、後はこのブログで詳しく書こうと思っていましたが、色んな思いがありすぎて、まとまりません。
もし機会があれば数多く残されている震災遺構を訪れてみてください。
何を思い、何を感じるか、それは人それぞれです。
震災遺構に来て、僕みたいに何時間も見る人、熱心にメモを取る若者もいたし、サーッと流して見る人もいました。
でもそれでいいんです。
まずは足を運ぶこと、知ろうとすることだと思います。
同じ日本人なのに、結局、僕らはテレビ等の報道でしか震災を知らない。
「東北の人は大変だったな」「被災地の人は気の毒だな」「津波って怖いな」とか。
でも、その場に立つと、その印象は全く違ったものであると気づきます。
知っていることなんてほんの一部で、ただ知った気になっていただけだと。
僕がここで感じたのは「命の尊さ」「学ぶことの意味」そして「伝承の大切さ」です。
震災は日本のどこかで必ずまたやってきます。
それは何十年先か、もしくは今日か…。
その時、僕らは教訓を生かせるのか…。
三陸、行けてよかったです。
またいつか、機会を見つけて訪れたいと思います。
まだまだ知らないこと、知りたいこと、知るべきことがたくさんありそうです。